最近思いやりについて考えます。
僕はおもいやりに重きを置いて生きたい
思いやりは対象の人と気持ちが交換可能な事によって実行できるといいます。
でも正直それでは僕としては困ります
現代日本は陰鬱でデタッチメントな悲しみが恐ろしいほどあふれてる
もう地下道でうねうねといる様ではない
僕の周りでもよく見受けます
身近にいる人たちだったら
相手が求めれば心の底から抱きしめたい
相手の近い位置にたってゆっくりと語らい合いたい
ここで注意しなきゃいけないのが相手を思うばかりで自分をみないんではないか?という事
いや違う。
僕は今の所2つの理由を挙げられる
1。思いやりといっても自己満足の世界、だから結局帰る所は自分自身
2。思いやるという事は自分自身で沢山の悲しみと苦しみと喜びから学びとらなくてはならない、でないと相手に何も与えられない。賛同がすべて正しいとは限らないし自分自身が相手より強烈な人間でなくてはならない 。
思いやる事で僕は僕らしいと感じる
そこが大事
話はもどりまして...
僕は身近だけでなくもっと広げたい
最近上手く社会にコミットできない人々にとっていかに生きにくい世界になったかを僕は教わりました。
そして自分自身で深く悲しむ事で悲しみを知ってそれをきちんと感じる術を身につけました
音楽というアプローチで
泥沼の悲しみにハマった人々を悲しみから救いたい
僕は 音楽 というアプローチが一番合ってるみたい
救う には認識とパワーが必要になる
自分にも相手にも
音は救い
言葉は認識
曲によっては逆転するかも しれませんが、僕はまだ自分の日本語に自信が持てません
それは何故かっていったら方法が沢山あって大変な事になるからです。日本語は英語の様に主人と従僕がいる言葉ではないので本当わずかな言葉でドキドキできるんです
ではパワーとはなんでしょう
人間以上の圧倒的な力を持った自然かなと漠然と思っています
例えば日本でいうなら屋久島とかそうですね
圧倒的な影響力の源がそこにあると感じます
それを自分自身で感じ取って表現できたらどうなるでしょう
そのパワーは音の源になってその曲の大きさになります
圧倒される音楽って本当にいいと思います
それこそ僕はハッとします
僕は人が好きだから
ならべくアナタに近い存在でありたい そしてアナタの一番得意なアプローチで接したい。人と話す事だけでなく映画を見る事にしろ音楽を聴く事にしろ本を読む事でも人と関わる事だから
アプローチの違いだけ
でも僕という体はずっと側にはいられない
それは僕が体に縛られてるから
でも音に変換すれば話は別
あなたの好きなときに
一番近くにいれる
僕はマルチチュードに対しては音楽というアプローチを選択する。
感情的で情緒的でドキドキしてハッとする音楽を
For You
Elephant Vanishesはそういう意識で音楽をする暖かい共通項の集まりです
音楽ってそういう意味で強いんです
それが より音 であればどんな状況でも音が背景となりまた自然発生的に表れる音と同調してなんでもない瞬間でも救いの手助けになるんです
僕はそういうアプローチでElephant Vanishesという音楽をやりたい
背景こそがアナタを左右する重要な要素だと思います
僕たちはいつでも背景です。
長くなりましたがきちんと伝えるべきかなと思い書いてみました。
Mixiの方で
Elephant Vanishesのコミュニティを作ってみました
mixiよく見る方こちらもチェックです!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3308723
そしてそして
5/14(wed)のclub lizardは19時出演になります。
どうぞよろしくです
Kota